正統主義がもたらす秩序

世界史 現社

今回は、国を治めるひとつの仕組みである、正統主義について考えていきたいと思います。
正統主義とは、ある血統の王様が国を治めることを言います。レジティズム(legitimism)とも呼ばれます。

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争いを生まない仕組み

まずはじめに、王様を立てることで、、争いを生みにくい仕組みを作っているというのはご存じでしょうか?

王を意味するking:キングや、ドイツ語で王を意味するkönig:ケーニヒには、古ゲルマン語のkuni:クーニが変化したものです。kuniには血統や血縁と言う意味があります。

このように、王様といえば、血統・血縁が重要視されるものであるということです。
なぜ血統が重要視されるのか、もう少し考えてみましょう。血統が重要視されるということは、王の継承権を持つ者を王の血統にのみ限定するということです。

この仕組みを作っておくと、王の血統以外の一般人が王の座を狙って争う事がなくなります。つまりは国の秩序に繋がります。

王様を立てることで国を支配する形式を、この記事では正統主義と呼ぶことにします(正確には正統主義とはウィーン体制時に取り入れられた理念で、内容も少し違いうようです)。もちろん、民衆が王様に不満を持てば、王様を倒すことはできます。倒すことはできますが、王様がいなくなることによって、長い時期混乱に陥った国がありました。

フランス革命は民衆が王様を殺した

民衆が王様を殺した事件として代表的なのが、フランス革命です。
あの事件のきっかけについては別の記事に任せるとして、民衆は王様であるルイ16世と王妃マリー・アントワネットを処刑しました。その後のフランスに平和が訪れたかと言うと、そうはなりませんでした。

フランスは、ならず者たちで溢れかえり、民衆は恐怖のどん底に陥ります。そのならず者たちを統括したのがナポレオンでした。
一時期ナポレオンがフランスを治めますが、いざ安定を求めようと思ったとたん、ナポレオンがコルシカ島出身の田舎育ちという血統は消えないため、
その後もフランスは王政に戻ったり、革命が起きたりを繰り返すこととなります。

フランス革命とナポレオンと言うと、世界史のメインディッシュであると言っても過言ではない項目です。しかしながら、正統主義という見方で語れば、フランス革命というのは国の混乱を招くパターンだったといえるでしょう。

正統主義は民衆の一定のリテラシーが必要

さて、フランス革命だけを例にとりましたが、ここから言えることは、正統主義を成立させるためには民衆にも一定のリテラシーが必要ということです。

王様を立てるという事は、単に『王様の力が強いから』『王様のカリスマ性があるから』という理由ではありません。王様を立てることで、その血統によって、国の秩序が保たれるからです。

正統主義で見えてくる、考察ぽいこと

以下は、正統主義から考えたやぎをさんの考察です。

  • 天皇の1500年の系譜
  • カールの戴冠の必要性
  • 国の意識が根付かなかった国

天皇の1500年の系譜

正統主義といえば、日本の天皇が1500年続いていることでしょうか。
過去の将軍たちは、なぜだか天皇の地位を犯すことはありませんでした。過去の日本では、天皇が支配していた朝廷と言うシステムと、武士が支配していた幕府と言うシステムがありました。

この記事の作者であるやぎをさんは、幕府というシステムで、なぜその時に天皇は倒されなかったのかということを常に考えていました。
そして、『過去の将軍たちは、正統主義によってもたらされる秩序を理解していたのではないか』という事です。もちろん、他にも要因があるのかもしれませんが、とりあえずの答えとしてはありな気がします。

カールの戴冠の必要性

フランク王国のカールに対し、当時の教皇が『正統な王として名乗ってよいぞ』と冠を授けました。
これをカールの戴冠といいます。

これを学んだ当時は、なぜ冠を授けたかったのだろうと疑問を持っていましたが、これも『正統主義を持たせたかった』という事が根幹にありそうです。
当時のフランク王国は、移民してきたゲルマン民族が建てた一つの王国でした。そこに正統性や伝統はなかったはずです。反対に、ライバル国だったビザンツ帝国は、ローマ帝国(王個人としてではなく、国として)を受け継いでいたので、伝統がありました。

正統VS伝統で、フランク王国に少しでも優位な立場を取りたかったのではないのかと思われます。

国の意識が根付かなかった国

中国は正統主義が根付かなかった国と言えます。というのも、何度も王様(血統)が変わっているからです。
中国の王朝は入れ替わりが激しく、民衆の反乱によって何度も崩壊させられています。

例えば明の王朝だった朱元璋(しゅげんしょう)は百姓から皇帝となりました。百姓が皇帝に成れるということは、他の異民族も皇帝になれてしまいます。
このようにして、中国の王朝はころころ変わり、ついには中国の人々には国という概念が根付きませんでした。

王朝がころこと変わると、なぜ国という意識が芽生えないのか考えてみましょう。
例えば、きちんとした王様をたて、その王の血統を長年守ったとします。その王の国に住んでいる国民には『ここまでが私たちの国である』という意識が根付きます。なぜなら、王様がそのエリアまでは自分の国として管理するからです。

ですが、管理する王様がころころ変わったとすると、国民はどこからどこまでが自分の国なのか分かりません。百姓ならまだしも、異民族から王の座を奪われてしまったら、もう分かりません。
このように、王様を立てている国だとしても、正統主義の意識が無ければ、国の混乱を招いてしまいます。

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まとめ・参考文献

今回は、正統主義とその他もろもろの考察でした。
近年では、『王様が国を治めているなんてもう古い』と言われそうな世の中です。しかし、王様をたてるという事で、国に一定の秩序をもたらしていたと分かると、それはそれでありなんじゃないかとも思えてきます。