【ローマ】共和制から神聖が無くなるまで

ロードマップ 世界史

今回はローマという国の移り変わりをメインに紹介していきます。
この流れを見ているだけでそれぞれのローマの歴史が浮かぶ方は、かなりの通かもしれません。

スポンサードサーチ

全体を見てみよう①

共和制ローマ

共和制ローマは文字通り、民主政治によって治められていました。
しかしながらポエニ戦争の勝利をきっかけに、奴隷によって市民が没落します。その後は、共和制から三頭政治に移り変わり、カエサル独裁政治が始まるのか?というところまで行きました。

ですが、カエサルによる独裁を怖がった重鎮ら裏切りを企てます。
結果、カエサルは暗殺されてしまいます。その後のトップ争いで勝ったのが、カエサルの養子であるオクタヴィアヌスです。オクタヴィアヌスは自らを第一の市民、周りからは尊厳者と呼ばれ、事実上の皇帝としてローマ帝国を治めていくことになります。

参考記事:【ローマ帝国の誕生】尊厳者:アウグストゥスが生まれるまで

ローマ帝国

さて、オクタヴィアヌスによってローマ帝国が始まります(諸説あります)。
ローマ帝国において外せないのが、キリスト教が国教となったことです。あまりの信者の多さにローマ帝国から国教として認められ、ヨーロッパ中に広まりました。

ですが、国教となって間もなく、ローマ帝国は西と東に分かれ、西ローマは間もなくして滅びてしまうのです。
参考記事:ローマの基礎となった【キリスト教の国教化】

全体を見てみよう②

ビザンツ帝国

西と東に分かれて間もなく、西ローマは滅びてしまいました。
しかしながら、東に首都を移していたコンスタンティノープル(今のイスタンブール)、いわゆる東ローマは1000年生き残ります。

ビザンツ帝国はその後、ヨーロッパの領土や宗教的な争いに巻き込まれることなく過ごします。代わりに中東との争いに巻き込まれていく国となります。

宗教はヨーロッパ中に広まったカトリックではなく、ギリシャ正教です。我が道を行くビザンツ帝国でしたが、最後はオスマン帝国によって滅ぼされ、1000年間の幕を閉じます。
参考記事:【教皇】と【皇帝教皇主義】ってややこしい

フランク王国

話を西ローマに戻しましょう。
東と西に分かれたローマはその後、東はビザンツ帝国となり、西ローマは滅びます。

その跡地にゲルマン民族が、フン族の支配から逃れるようにして西ローマに入ってきます。そこで建国されたフランク王国というのが長く続きました。

そして、フランク王国は、国を支配するのにキリスト教を取り入れます。
さきほど西ローマは滅びたと言いましたが、国は滅びたとしてもキリスト教の拠点はまだ残っていました。そこで、フランク王国とキリスト教の教皇が手を組み、布教に励みます。

その過程で生まれたのがカトリックでした。カトリックは文字が読めないゲルマン民族に対して、絵や像を使って布教し始めます。

ですが、これはキリスト教などの一神教で禁止されている行為です。
この時対立したのが、東のビザンツ帝国のギリシャ正教です。神に反するとは何事だと言わんばかりに対立していくのです。

参考記事の前半:【神聖ローマ帝国の誕生】3つの交差点【カール大帝】

神聖ローマ帝国(カール大帝)

フランク王国を支配していたカール大帝に、教皇から『神聖ローマ皇帝』の称号が与えられます。
これをカールの戴冠と言います。

移民によってできたフランク王国。力をつけてきましたが、伝統・権威が足りません。そこで、カトリック教皇から称号をもらう事で、権威ある国として認められます。

ちなみに教皇の権威というのは、当時かなり強く、トップである皇帝も逆らえるものではありませんでした。そんな教皇から『神聖ローマ皇帝と名乗ってよいぞ』と言われたカールは喜んで受け取ります。神聖ローマ帝国の誕生です。

参考記事の後半:【神聖ローマ帝国の誕生】3つの交差点【カール大帝】

スポンサードサーチ

全体を見てみよう③

神聖ローマ帝国(分裂後)

カールの戴冠によって教皇から神聖ローマ皇帝の称号をもらい、フランク王国は神聖ローマ帝国となりました。
しかしながら、カール大帝の死後、その領土を争う様にまたもや分裂してしまいます。西フランク、中部フランク、東フランクと分かれ、東フランク地域に神聖ローマが鎮座します。

  • 西フランク:のちのフランス
  • 東フランク:神聖ローマ帝国
  • 中部フランク:のちのイタリア

ちなみに、神聖ローマは何が神聖なのかと言うと、教皇がバックにいるよということで、神聖と呼ばれます。
教皇は精神的な地位のトップであるため実質的支配はできません。そのため、国に守ってもらう必要があります。

神聖という名前をつけてもらう代わりに守ってもらう、といったところでしょうか。

しかしながら、細々と続いてきた神聖ローマも、ナポレオンによって滅ぼされます。

神聖ローマの後は、プロイセン(ドイツ)やオーストリア、スイスが現れてきます。
参考記事:教皇が主人公の3つの事件:【カノッサの屈辱】【十字軍】【アナーニ事件】

まとめ

以上、共和制ローマからのローマまとめでした。