【絶対王政】から【国民】の国家へ

世界史

前回の『【宗教改革】から、戦争のしやすい【絶対王政】へ』において、
宗教改革をきっかけに、各々が戦争のしやすい国を作るため、絶対王政の体制を取るようになっていきました。

しかしながら、王様ワントップの時代も、すぐさま民衆が中心となる民主国家へと移り変わっていきます。

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イギリス・フランスはいち早く【民主国家】へ

さて、イギリス、フランスでは他国に比べ、いち早く民主国家へと移り変わっていきます。

民主国家ということは、国民が選挙で代表を選び、議会を経て物事を決めるという事です。絶対王政のように国王一人が中心となる政治とは、うって変わります。

  • イギリス:いち早く民主国家
    ◎ヴィクトリア女王
  • フランスフランス革命ののち、いろいろあって民主国家へ
    ◎ナポレオン3世

また、アメリカは、イギリス・フランスの植民地でしたが、アメリカ独立戦争ののち、独立を果たします。他の国も見ていきましょう。

  • アメリカ:植民地から独立へ
  • プロイセン :普仏戦争のちのドイツ帝国
    ◎ビスマルク
  • ロシア:モスクワ遠征後、南下政策
  • イタリア:遅れながらも統一
    ◎ガリバルディ

フランス革命のフランス

フランスは、お金がかつかつになっていたため、富裕層(聖職者と貴族)に対し課税を強めようします。しかし、これがきっかけでフランス革命が起きます。

というものの、議会によって話し合う事になったのですが、当時の市民には不利な状況になりそうだったため、市民による暴動が起きます。その際にバスティーユ牢獄を襲撃するのですが、『俺たちを捕まえても終わらないぞ!』ということと、武器が保管されていたため『武器を奪う』ため牢獄を襲撃します。

そして、一時期、ナポレオンがフランスの皇帝となり、イギリスを除くヨーロッパ全域を支配するまで行きますが、モスクワ遠征によってロシアに敗れます。

その後もいろいろあり、ナポレオン三世の時期に落ち着きます。ちなみに、ナポレオン三世は、ナポレオンの甥です。

黄金時代のイギリス

一方で、イギリスはヴィクトリア女王の時代で、その時期にはすでに議会が出来ていました。ヴィクトリア女王は、議会とうまく距離をとり、象徴女王の立ち位置でイギリスを見守ります。

また、産業革命(手作業から機械化)、諸外国との戦勝に勝利し、カナダ・インド・エジプトなどの植民地の確保、スエズ運河の買収を行います。

特にスエズ運河の株を買収することで、交通量が大幅に浮きました。
スエズ運河を通る4分の3はイギリス籍の船でしたので、今までどれだけの通行料を払っていたのかがうかがえます。ちなみにスエズ運河を買収の際に融資したのが、かの有名なロスチャイルド家でした。

ヴィクトリア女王の時期は、大英帝国の黄金時代と呼ばれますが、それは、産業革命・諸外国との戦争勝利・植民地とそのルートを押さえ、イケイケだったからですね。

アメリカやドイツ、ロシアは?

さて、アメリカ、ドイツ、ロシアなどの他の国は、どうだったのでしょうか。まとめると以下のようになります。

  • アメリカ:植民地から独立へ
  • プロイセン :普仏戦争のちのドイツ帝国
    ◎ビスマルク
  • ロシア:モスクワ遠征後、南下政策
  • イタリア:遅れながらも統一
    ◎ガリバルディ

アメリカ独立戦争はなぜ勝てたのか

アメリカはイギリスとフランスの植民地でしたが、独立を勝ち取ります。

ですが、そもそもおかしい話です。
ついこないだまで植民地だったアメリカが、強国イギリス・フランスに勝てるはずがありません。それには以下のような理由があります。

  • フレンチインディアン戦争:イギリス VS フランス
  • アメリカ独立戦争:アメリカ(+フランス) VS イギリス

フレンチインディアン戦争は、イギリスとフランスによる、アメリカの領土の奪い合いで起きた戦争です。
この戦争ではイギリスが勝利し、領土を勝ち取ります。

しかしながら、アメリカ独立戦争では、フランスがアメリカの後ろ盾をすることで、フランスがフレンチインディアン戦争で負けた復讐を果たすわけです。結果としてイギリスに勝利し、独立を勝ち取ります。

屈辱的な普仏戦争

普仏戦争は、フランスとプロイセンによる戦争です。
領土の争いというより、プロイセンのビスマルクがナポレオン三世に対して挑発して起きた戦争です。ビスマルクがナポレオン三世をバカにするような発言をし、挑発に乗ってしまったナポレオン三世が罠にかかり、捕虜にされてしまいます。

歴史あるフランスにとって、出来たばかりの国プロイセンに敗れるという屈辱的な戦争となりました。こののち、プロイセンはドイツ帝国となっていきます。

モスクワ遠征により、イケイケのロシアの南下政策

ロシアはモスクワ遠征によってナポレオンを破ったとして、ヨーロッパ諸国から認められます。
というものの、ナポレオンの登場によって、一時期西ヨーロッパ全体がナポレオンによって支配され、それを破ったのがロシアだったからです。勢いに乗ったロシアは、不凍港を求め、南下します。

南下の理由は、不凍港を奪うためです。
ロシアという寒い地域では、港が凍りつき、船を停めることができないため、貿易や軍を置くことが不可能です。

そのため、何とかして不凍港を手に入れたいわけです。南下の最短距離だった黒海と地中海の出口の海峡オスマン帝国が握っていましたので、オスマン帝国とやりあいます。しかしながら、これ以上ロシアが強くなっては困るという事で、イギリス・フランスがオスマン帝国をフォローし、ロシアを破ります。

不凍港奪取に失敗したロシアは、地中海への南下をあきらめ、太平洋側への南下を目指します。これがのちの日露戦争に繋がっていくわけです。

統一に遅れをとるが、まとまるイタリア

イタリアは他のヨーロッパ諸国に比べ遅れをとります。北と南でばらばらだったのを、北ではサルデーニャ王国、南では、キリスト教のイエスによく似たガリバルディがまとめます。

そして、ガリバルディVSサルデーニャの大戦争になるかと思いきや、ガルバルディが南側をサルデーニャに献上し、自身は身を引きました。こうして遅れながらも、イタリアはまとまっていきました。

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まとめ

絶対王政から民主国家へと変わっていく様子がうかがえたでしょうか。

また、このあたりから、ドイツやイタリアが、今の形で台頭していくわけですね。
次回:起爆剤満載の【第一次世界大戦】>>

参考文献:一度読んだら忘れない世界史の教科書