【Tips】フォーマルな濃茶で、カジュアルな棗を使う?

茶道 雑記(茶道)

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棗濃茶(なつめ こいちゃ)の登場

棗とは本来、薄茶で使われるものです。
侘び茶人である千利休が、濃茶で棗を使うようになりました。

さて、なぜ『侘び茶人』という概念が生まれたんでしょうか。

参考: PenBooks 千利休の功罪

それまでの茶の湯

実は室町時代の茶の湯というのは、いわゆる侘び茶とはかけ離れた豪華絢爛でした。
特に、中国から来た陶器に非常に価値があり、
茶の湯としてよりも、いつしかその希少性が重要視されるようになっていました。
特に茶入れ(お茶の葉を入れる容器)は国と同様の価値があると言われたほどです。

といってもあまりピンときませんので、例を出して言うと、
今でいうとみんながスマホを持っていると同じくらい茶の湯が人気でした。

もちろん、お金持ちだった人も例外ではなく、
価値のある茶入れを集めることがステータスになっていました。
現在で言うと、金持ちが高級車を集めることと似ていますね。

侘び茶人の登場

さて、そんな中で登場するのが『侘び茶人』と言われる流派です。
武野紹鴎や千利休が当時、侘び茶人と呼ばれました。

特に千利休は、『黒棗良いやんけ!使ったろ!』という感じで、
濃茶でも黒棗を使うようになりました。
というのも、黒棗は本来、薄茶で使われます。

しかしながら、
黒棗は『色が質素・威厳がある黒で、かつ、手に収まる無駄がないデザイン』をしています。
最低限の道具やデザインで茶の湯を表現したい利休には、それが気に入ったのだと思われます。

また、濃茶と薄茶の格式については以下で解説していますが、
【Tips】茶の湯のフォーマルとカジュアル
要は、

濃茶で『漆器である棗』を使う事は、かなり違和感があること!

と感じていただければ結構です。

そして利休が、格式高い濃茶で黒棗を使うようになり、
その形式は棗濃茶(なつめこいちゃ)と呼ばれます。

フォーマルな濃茶で、カジュアルな棗を使う。
これがかなり思い切ったものだったんですね。

まとめ

棗濃茶(なつめこいちゃ)が生まれた経緯について解説しました。
利休は侘び茶人と呼ばれましたが、
現代では侘び茶人というより、ミニマリスト茶人と言った方が分かりやすいかもしれませんね。

参考: PenBooks 千利休の功罪