教皇が主人公の3つの事件:【カノッサの屈辱】【十字軍】【アナーニ事件】

世界史 宗教

カール大帝が治めていたフランク王国も、孫の代で分かれてしまいます。
そして、この時期に皇帝と教皇の力の差による事件が起きます。

  • カノッサの屈辱
    教皇の力が強すぎて、皇帝を破門にしてしまう
  • 十字軍
    教皇が3王国をまとめて十字軍を作り、エルサレムを取り戻す戦争に行く
  • アナーニ事件
    教皇の権威が落ちて、皇帝に逮捕される、教皇が憤死する事件

3つとも教皇が関わっていますね。それほど影響力を持っていたということです。
また、十字軍事件を境に教皇の権威は落ちていってしまいます。みんなからの信頼が無くなってきてしまうわけですね。

では、この3つの事件でそれぞれどんなことが起きたのか説明していきましょう。
ですが、その前に前置きを見ておきましょう。

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前置き

神聖ローマ帝国の分裂

神聖ローマ皇帝が生まれたのはカールの戴冠があった800年です。
ですが、ここでは皇帝としての神聖ローマ皇帝が誕生したと解釈してください。

国としての神聖ローマはまだ生まれていないとします。(ここは色々な解釈があるところですので、分かりやすいように覚えてください)

さて、話を戻しまして、カールによるフランク王国は以下の3つにわかれます。

  • 西フランク(フランス)
  • 東フランク(神聖ローマ—ドイツ)
  • 中部フランク(イタリア)

ここでやっと、フランスやイタリアなど知っている国が出てきましたね。
また、分裂した際に国としての神聖ローマが誕生します。そして神聖ローマ帝国の場所が後のドイツです。

あれ?神聖ローマ帝国が、後のドイツ?ドイツにローマ無くない?となりますね。
日本で言えば、東京ディズニーランドと名乗っているのに千葉県にあるみたいな状態です。この神聖ローマ帝国のコンプレックスは、後々効いてくることになります。

そうだ、聖職者になろう!

前置きの二つ目は、その当時の教会は、儲かっていたという事。

  • 非課税
  • ワイン・チーズなどの物販の収入
  • 市民からの税の徴収

などの権利があったため、かなり儲かっていました。
すると、学のある貴族たちは『教会やった方が儲かるじゃん!』ということで、聖職者を目指す貴族が増えたわけです。

3国の父である教皇

そして忘れてならないのが、教皇がどうみられていたのかです。

フランク王国は3つに分裂したとはいえ、3国とも同じ宗教を信じています。つまりは、教皇は3国のお父さん的な存在でした。

みんな教皇の前では、例え皇帝であろうとひざまずく、そんなイメージをしていただければ分りやすいかと思います。

カノッサの屈辱(1077年)

さて、このような状況の中で、教皇の権威を知らしめる事件が起きます。
教皇が皇帝に対して、『お前は破門だ!』と言うのです。

破門という事は、信じていたキリスト教をやめなければならないという事です。
はてさて、なぜこのような流れになったのでしょうか。

聖職叙任権は皇帝にない?

貴族たちが聖職者を目指しているということは先ほど紹介しました。
その際に、聖職者を決める人事権的なものを、聖職叙任権(せいしょくじょにんけん)と言います。
この権利をめぐって事件が起こるわけです。

実は、この聖職叙任権は『教皇にしかありません』と宣言したことがきっかけでした。これに物議を醸したが、神聖ローマ王のハインリッヒ4世です。『一部に権力が集中すると、汚職や賄賂のもとになる』ということで、『皇帝の俺にも叙任権欲しいよ』と教皇に頼みます。

しかしながら、教皇グレゴリウス7世は
『いやいや、何反論しちゃってんの?ワイ教皇やで?君、破門』という事で、
ハインリッヒは皇帝であるにも関わらず破門になってしまいます。

当時の破門がそんなにヤバいの?

この当時の破門というのは、部活を退部にさせられたというレベルではありません。
その当時は、『君は日本国民じゃないよ』以上のものだったでしょう。

どの国も皇帝を含んだ全員がキリスト教を信じており、そんな中で1人だけキリスト教をやめなければならない状況なわけです。
皇帝といえども、破門を言い渡された瞬間、皇帝の味方も知らんふりです。完全に孤立してしまったハインリッヒ。どうなったのでしょうか。

3日間、カノッサ城で謝る

ハインリッヒは教皇に破門を解いてもらうために、教皇がいるカノッサ城の前で3日間謝ります。あいにく雪が降っている季節で、反省を表すために裸足で参上し、教皇に謝るのです。

その後は無事に破門を解いてもらったのですが、皇帝である身分にもかかわらずものすごい屈辱を味わうことになるのです。これをカノッサの屈辱と言い、教皇の力が絶大であることを世に知らしめました。

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エルサレムを取り戻す…はずだった十字軍(1096~1270年)

エルサレムは、ユダヤ教キリスト教イスラム教の三宗教の聖地です。

このエルサレムを治めていたのは、ローマ帝国から東に分かれたビザンツ帝国側でしたが、エルサレムがイスラム王朝側に占領されてしまいます。仲が悪かったフランク王国(西ローマ)とビザンツ帝国側ですが、この時ばかりはビザンツ帝国も西ローマ側に援助を要請しました。

十字軍結成

これを受けて神聖ローマ側の教皇は、
東フランク・西フランク・神聖ローマに対して『エルサレム奪還』のための連合軍を結成するように呼びかけます。

エルサレムというと西ローマ側からしたらかなり遠いですが、みんなカノッサ城の屈辱を忘れられません。おそらく不満を持った兵士もいたでしょうが、反論すれば破門と言われかねません。そんなわけで、キリスト教の軍が結成されます。

最初の一回は良かったが、後は…

十字軍は第七回ほどエルサレムに派遣されました。
最初の第一回はエルサレムを取り戻したものの、統治が難しく、再度エルサレムを奪われてしまいます。

そして、回を重ねるごとに目的が分からなくなり、そのうちイスラム王朝側の村で暴行・略奪を始めてしまいます。
また、これまたよく分からないのですが、十字軍はビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープルを陥落してしまいます。
ビザンツ帝国の宗教はギリシャ正教で同じキリスト教の宗派ですので、コンスタンティノープル陥落の件に教皇はブチギレます。

また、この十字軍事件は、イスラム圏に今でもしこりを残しています。イスラム教に、『同じ啓典を信じる民は尊重せよ』というのがあるのですが、十字軍の兵士による略奪・暴行によって、考えは一変されました。十字軍は今でも負の歴史なのです。

教皇の権威はおち、王族の力が増す

結果として、7回も十字軍を派遣して結果も得られず、略奪してしまうという件が重なり、教皇の権威が落ちてしまいます。信頼を失ったという事ですね。

そして、逆に十字軍出て死んだ将校や王の土地を、別の王族が勝手に取り、王族の領土がガンガン増えます。そうすると、王族の権威が増してきたのでした。
まとめると、教皇の権威は落ち、王族の力が増しました。

教皇が憤死するアナーニ事件(1303年)

これまた教皇が、皇帝に破門を言い渡す事件が起こります。
登場人物は、教皇ボニファティウス8世と、フランス王(西フランク王国)フィリップ4世です。

フィリップ4世が聖職者に対して課税を始めたので、ボニファティウスが『それはダメじゃない?聖職者は課税しないでしょ?』と言ったことがきっかけになります。これに対しフィリップ4世は反論したため、ボニファティウスがフィリップに破門を言い渡します。
ここまではカノッサの屈辱のグレゴリウス7世と同じです。

しかしながら、この当時の教皇の権威は既に失墜していました。

教皇が逮捕される

逆に教皇のボニファティウスが逮捕されしまう結果になります。さらに、ボニファティウスは怒りのあまり憤死してしまうのです。
教皇である自分に反論するなんておかしい!カトリックのトップを担う自分を逮捕するなんておかしい!そんなところでしょうか。
そして、ボニファティウスは歴史上まれにみる、怒りながら死ぬという憤死で生涯を終えます。

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まとめ

今回は教皇が主人公である事件3つを取り上げました。最初は力を持っていた教皇が、だんだんと権威が失墜していく様子が分かったでしょうか?

また、十字軍というのは結果として失敗に終わったわけなのですが、十字軍遠征によるイスラム圏の進出によって、イスラムの文化が入ってくるようになります。
そう、いわゆるルネサンスのきっかけを作るわけですね。

ルネサンスの参考記事

参考文献

一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書