世界恐慌から【第二次世界大戦】へ

世界史

前回:ドイツへの賠償金と【世界恐慌】では、
アメリカの大恐慌が世界恐慌を招いたところまでを説明しました。

ドイツをはじめ、イギリス・フランスなどの各国はどのような対応をしたのでしょうか。

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植民地がある国とない国

恐慌もとのアメリカは、国が生産量の制限をかけたり、作りすぎたものを国が買い上げて価格の低下を防ぐなどの対応をしました。

そして、アメリカ以外の国はどうだったのかというと、植民地を潤沢に持っているかどうかで変わりました

  • 植民地がある:イギリス・フランスなど
  • 植民地を奪われた:ドイツ・イタリア

植民地を潤沢に持つ国

イギリスやフランスは各地に植民地があります。
植民地を潤沢に持っている国は、自国と植民地の中で自給自足に賄えるように対策しました。

つまりはアメリカ製品を含む他国の製品に関しては、関税をかけることで、貿易を制限します。いわゆるブロック経済(ブロックは圏・連合という意味)という政策です。

イギリスはポンド・ブロック、フランスはフラン・ブロックという経済圏を作り対応します。

なぜブロック経済したのか

ところで、なぜブロックを作り、自給自足態勢をとることが良しと判断されたのでしょうか。

アメリカの大恐慌は、作りすぎで売れなくなったことが原因です。
大量に余っているアメリカからの安い製品が自国に入ってくれば、その国内の同類の産業に大打撃です。という訳で各国はブロック経済の態勢を取ります。

しかしながら、ブロック経済を作れる中心となる国々は、イギリス・フランス・アメリカぐらいでした。

ロシア(ソ連)はどうだったか

ちなみに、その頃のソ連はどうだったのでしょうか。
実はソ連は第一次世界大戦中に初めての社会主義国となっていました。ソ連では、国営の企業・農業の下でで計画的に生産・分配されていたため、恐慌の影響を受けにくかったのです。

植民地を持たざる国はどうなったのか

さて、話を戻しましょう。一番の問題どころです。
植民地が無い、ドイツ・イタリア・日本はどのような対応を取ったのでしょうか。

先程も言ったように、ブロック経済を行うには植民地を持っているか、もしくは、ブロック(圏・連合)として仲間に入れてもらうしかありません。

ドイツは第一次世界大戦のときに植民地を失いました。また、イタリア・日本もほぼ植民地を持っていませんでした。このような国は、ファシズムに走ります。

ファシズムとは何か

ファシズムとは、他国への侵略を良しとする独裁国家体制のことです。

植民地もなく、経済を回しようがないのですから他国から奪うしかありません。そこで、ドイツではヒトラーが、イタリアではムッソリーニが支持を高めます。

そして、スペイン内戦を機に、キケンな両者が手を組みます。そこに国際連盟を脱退した日本が加わり、日独伊三国同盟の結成されました。

ポーランド侵攻で勃発

ドイツがポーランドに侵攻し支配しようとした段階で、英仏が『そろそろドイツを止めなくてはならない!』となり、ドイツに宣戦布告します。そして、ヨーロッパ戦線が始まります。
そして同時期に、日本も真珠湾攻撃によって太平洋戦争がはじまります。こうしてヨーロッパ戦線と合わせて第二次世界大戦へと発展していったのです。

第二次世界大戦

ドイツはポーランドを支配後、そのままフランスを攻め、ひと月でフランスを降伏させてしまいます。
そしてドイツは、イギリス本土に空襲を仕掛けますが、こちらはなかなか降伏しません。

『イギリスとソ連が裏で繋がっているのでは?』と疑ったドイツは、ソ連へ侵攻します。
しかしながら、ロシアの冬将軍作戦で苦戦を強いられます。ロシアの冬将軍は、かつてのナポレオンを破った戦法です。ロシアの手前あたりでは負けるふりをして、ロシアの奥地へ奥地へと誘い込み、冬の到来とともに一気にたたく作戦です。

さらに、アメリカがフランスへのノルマンディ上陸作戦によって、アメリカとソ連でドイツを挟み撃ちにします。
もう無理だと悟ったヒトラーが自殺することで、ヨーロッパ戦線は終わりを告げます。その後日本も無条件降伏することで太平洋戦争も集結し、第二次世界大戦は終わりを告げました。

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まとめ

第二次世界大戦は、世界恐慌の各国の対応の違いによって起きました。

植民地を持って自国と植民地で回せる国はブロック経済を、それ以外の自給自足できない国はファシズムに走ります。
その代表がドイツ・イタリア・日本でした。

そして、第二次世界大戦は、

  • ヨーロッパ戦線
  • 太平洋戦争

を合わせたもので、ポーランド侵攻に始まり、最後はロシアとアメリカがドイツを挟み撃ちすることで、ヒトラーは自殺。第二次世界大戦は終わりを告げました。