ドイツの【ウルトラ・ハイパーインフレ】はどのようにして起きたのか
第一次世界大戦後、ドイツでは物価一兆倍のインフレが起きました。
3年間で物価が2倍になることをハイパーインフレと言います。
しかしながら、ドイツで起きたインフレは、半年で物価が一兆倍なる空前絶後のインフレでした。今回はそのあたりについて重点的に見ていきましょう。
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ドイツのウルトラ・ハイパーインフレ
そもそも戦後の国でインフレになることはよくあります。戦争によって物資が届かなかったり、そもそも作れなかったりするからです。
しかし、それよりもドイツは他の要因が大きかったのです。
フランス・ベルギーによるルール地帯の占領
ドイツは第一次世界大戦後に法外な賠償金を戦勝国からふっかけられます。
1320憶マルクという当時のドイツのGDP20年分に及ぶ賠償金でした。当然ドイツは払えるわけもなく、賠償金の支払いを停止します。
そこでフランスがベルギーと手を組み、賠償金のカタとしてドイツのルール工業地帯を占領します。
ルール工業地帯は、当時のドイツ最大の工業地帯で、石炭が豊富にあり、石炭を材料とした鉱工業が栄えていました。その鉱工業製品を現物賠償としてフランス・ベルギーが差し押さえようとします。
しかしドイツも黙ってはいません。ルール地帯で働く労働者にストライキを呼びかけ、工場・鉱山の機能を停止させます。
しかしながら、労働者にストライキを呼びかけているため、お金は払わなくてはなりません。
そのため、ドイツ政府はお札をガンガン刷ります。しかし、ルール地帯の工場・鉱山が停止したため、物資が滞ります。
石炭の発掘も止まったため、輸送に関わる石炭が取れず、物資が各地に行きわたらなくなりました。こうして、お金が余っているが、物資ないということでインフレになっていきます。
こうして、『お金は刷るが、物資が来ない』状態が続き、半年で一兆倍になるスーパー・ハイパー・ウルトラインフレが起きました。
その後、アメリカによるドーズ案によって、アメリカからの融資を受けが少しずつ経済回復していくことになります。
まとめ
今回はドイツのハイパーインフレがなぜ起きたのかについて解説しました。
ポイントは、ルール地帯の占領と、お札をたくさん刷っていたことですね。
一兆倍に膨れ上がったあとは、旧1兆マルク=1レンテンマルクというレートで、旧ドイツのマルクを回収し、焼却処分します(デノミネーション)。焼却処分することで、人々は新しい貨幣に信頼を持ってくれる効果があるそうです。
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参考文献:経済は世界史から学べ