コショウの旅から【新大陸】と【侵略】

世界史

大航海時代のお話になります。
きっかけは簡単で、ヨーロッパでブラックダイヤモンドと呼ばれた『コショウを入手』するために航海が流行りました。なぜ海から渡る道を選んだのでしょうか。

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陸路ではいけない理由があった

実は、『インドに行けばコショウが手に入る』ことは当初から分かっていましたが、
陸路ではいけませんでした。

陸路でインドに行くには、中東であるオスマン帝国を横切らなければなりません。
オスマン帝国はヨーロッパのライバルです。

というわけで、海を通っていく必要があります。ヨーロッパで海に面していたスペインとポルトガルが特に有利でした。

最短のインドの航路を確保

ポルトガルの探検家、ヴァスコ・ダ・ガマアフリカ大陸をぐるりと回り、インドへ到達します。無事コショウも手に入りました。ヴァスコ・ダ・ガマのルートは東回りルートと呼ばれます。

逆サイドからインドを目指す

さて、コショウは手に入ったので、これで終わりかと思いきや、まだ続きます。

あるときスペイン王女にこのようなプレゼンをした人がいました。
『地球は丸いのだから、西から行けばすぐにインドに行ける』と。
これを言ったのがコロンブスです。

その当時、地球はユーラシア大陸辺りまでしかないと思われていました。
そのため、ヨーロッパから見て東側の端にあるインドは、西から行けばすぐだと思ったわけですね。
そこでスペイン王女がお金を出し、コロンブスは西ルートへインドを目指します。

そして無事インドにたどり着いてコショウを持っていくわけですが、インドと思っていた場所は後のアメリカ大陸でした。
コロンブスは、その大陸をインドと信じたまま亡くなったそうです。

身震いする新大陸

コロンブスが西回りルートによってインド(新大陸)に行ったことで、西回りルートが大ブームになりました。多くの航海者が西回りから大陸を目指します。

ですが、アメリゴ・ヴェスプッチが大陸を調査すると、インドよりかなり長いことを発見。
アメリゴからアメリカ大陸と名づけられました。
新大陸に自分の名前がつくなんて、かなり興奮するでしょうね。

合わせ技で世界一周

マゼランは、東ルート(アフリカ大陸の喜望峰からいく)と西ルートから東南アジアに行って、初めての世界一周の名誉を得ました。

西回りルートとはアメリカ大陸の下を通って東南アジアに行くというルートです。この西回りルートは予想以上にひどい旅で、腐ったビスケットで食いつないだと言われています。ですがこのマゼラン、西回りルートでフィルピンにたどり着いた際に現地の人に殺されてしまいます。

(生きて帰っていれば素直に世界一周と言えましたが)過去にも東回りルートで東南アジアに行っていたので、合わせ技で世界一周を成し遂げた男となりました。

新大陸は侵略の始まり

さて、コショウを見つける旅から新大陸を発見し、世界の全貌もそれとなく把握できるようになりました。
マゼランが現地で殺された国はフィリピンですが、この名前もスペインの当時の王であるフェリペ2世からとって名づけています。
ちなみにフェリペ2世もハプスブルグ家から来ています。

フェリペ2世は、新大陸であるアメリカ大陸の国とスペインを比べ、圧倒的にこちらが進んでいると判断します。コルテスをアステカ帝国、ピサロをインカ帝国に送り込み、侵略を始めます

この時、アメリカ大陸で銀山を発見し、トマトやジャガイモ、そして奴隷もこの時に持って帰るようになります。トマトやジャガイモはこの時発見され、今では欠かせない食材になっています。

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まとめ

今回はコショウを見つける旅から、新大陸と侵略に繋がることをお話しました。
ヨーロッパがなんとなく国としてまとまってきて、さらに新大陸を見つけることで、力を持ったヨーロッパ諸国が侵略を始めるわけです。

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