蘇我氏と物部氏ってそもそも誰なん?

日本史

この記事では、蘇我氏と物部氏ってそもそも誰なの?ということについて語ります。

中学校の歴史の授業で習ったときは、
『昔はソガって人がいて、モノノベって人らがいて、争っていたのかな?』と思ったのも束の間、さっさと聖徳太子や推古天皇の話に行ってしまいます。
今回は、そんな蘇我氏と物部氏について深堀りしてみましょう。

この辺りの時代についてはこちらでまとめています↓
>>あやふやな日本史を徹底的に理解する①

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氏姓制度を理解する

蘇我氏と物部氏を理解するには、当時の大和政権で行われた氏姓制度について理解する必要があります。
読み方は『しせいせいど』と呼んでもいいですが、正確には、氏姓(うじ・かばね)制度です。

氏姓制度を深掘る

今でいうと、氏も姓も同じ意味ですが、大和政権時では意味が違います。
こんな感じです。

  • 氏(うじ):今でいう苗字に値する名前
  • 姓(かばね):ランク付けされた名前

氏(うじ)は今でいう苗字ですが、姓(かばね)は違います。姓(かばね)は、大王(おおきみ)によってランク付けされた名前です。

むむっ?となりましたね。もう少し詳しくいきましょう。
氏(うじ)は、豪族(当時各地で力を持っていた一族)につけられる名前です。苗字といった方が分かり良いでしょう。

姓(かばね)は、豪族の一族に対して与えられるランクです。
最高ランクは臣(おみ)、その次のランクは連(むらじ)で、だいぶランクが落ちて、君、造、首などがあります。

よく分からないので図にしてみましょう。

(こちらを参考にしました:氏姓制度について氏姓制度:Wikipedia

ランクは臣(おみ)と連(むらじ)だけ見ればOKです。
いずれも、大和政権で重要な役割を担ったランクを表します。そして、臣と連に値する金・銀ランクを見てみると、聞いたことがある氏(うじ)がありますね。

最初に取り上げた蘇我氏と物部氏がいます。
つまるところ、このふたつの一族(豪族)は、大和政権の政治を担う力があったということです。

そして、ある時に蘇我氏が、『国をまとめる為に仏教を取り入れたいなぁ』と言い出して、物部氏と争うことになります。

ちょっとした豆知識

蘇我氏と物部氏が大和政権の政治を担う立場に有力な豪族であったたこと、それによって仏教で争っていた、ということは分かりました。
しかしながら、同様の氏は他にもありますね。なぜ、蘇我氏と物部氏の豪族だったのでしょうか。

実は、同じ臣(おみ)や連(むらじ)のランクでも、それぞれを取りまとめる氏(うじ)がいました。
それらは大臣(おおおみ)や大連(おおむらじ)と呼ばれていました。つまるところ、大臣のトップは蘇我氏、大連のトップは物部氏だったということですね。


だからこそ、トップ1位と2位が争う事となった訳ですね。これでやっと、中学校の教科書の『蘇我氏と物部氏が争っていた』という一文が理解できました。

ちなみに大臣(おおおみ)は、今では大臣(だいじん)という言い方になって、現在でも使われています。

まとめ

まとめると、蘇我氏と物部氏は『大和政権の政治を左右できる強力な二大豪族だった』という事でした。