なぜ我々は【古事記】を習わないのか
以前に、いつから天皇と呼ばれた?という記事を書きました。
その記事を書いていて思ったのが、『なぜ、我々は天皇がどんな存在なのか、すなわち古事記についてもっと知っても良いのでは』という事でした。
どうやら、戦後以前は古事記を習っていたそうなのです。なぜ習わなくなったのでしょうか。
なんとなくオチが見えてしまう内容かもしれませんが、お付き合いください。
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さらっと古事記を知る
まず、古事記とは現存する日本最古の歴史書です。
そして、古事記(その他、日本書紀)には、初代天皇である神武天皇が、天照大神の子孫であることが書かれています。その天皇家は今でも続いているということです。
ここから導き出せるのは、天皇家は神様の子孫だということ。
(ちなみに、天照大神(アマテラス オオミカミ)は太陽の神様らしいです。)
それだけ天皇家は神聖化されたものであることが分かります。
いつから天皇と呼ばれた?の図
もちろん、どこまでが真実かは分かりません。初代神武天皇すら実在していたかどうか分かりません。
確かなのは、『天皇家は、天照大神の子孫であるという神話で伝承されていた』ということです。
意外なところで舞い戻る古事記
さて、そんな古事記ですが、明治維新のときに再注目されます。
明治維新によって、江戸幕府が廃止されました。
それまで武士が中心として支配して来た幕府という制度が終わったということです。ちなみにですが、幕府というのは、天皇の代わりに武士が政治を行う仕組みのことです。
征夷大将軍の位をもらった武士が政治を行うときは、幕府と呼ばれます。反対に、天皇やその貴族が政治を行う場合は朝廷と呼ばれます。
話を戻すと、江戸幕府が終わり、新しく世の中をまとめる仕組みが必要となりました。
そこで、当時の政府は欧米を手本としていたため、キリスト教を国の宗教とすることで、日本を治めるか悩んでいました(キリスト教の中でも、おそらくカトリック。ピラミッド型で統制できるので)。
また、他にも、神道(八百万の神やアニリズム的なもの:)や、仏教によって治めるか悩んでいました。
しかしながら、当時の伊藤博文や政府の偉い人たちは、いずれも日本を治めるにはちょっと物足りないかな、と思っていたそうです。
・キリスト教のカトリックで治めた場合、トップがローマ教皇となってしまうためややこしいということ
・仏教では、過去に必要以上に力を持ってしまい、脅威になったことがあること
・神道では石や神木に祈る形になるため、信頼性が弱いということ
以上により、上記の3つの宗教は採用されなかったのでは?と思われます。
そこで、結局のところ天皇をトップにまとめるような、何かが欲しい。ということで、政府が目を付けたのが古事記でした。
神話が事実となる
古事記に書いてあることは、先ほども言ったように『天照大神の子孫が、天皇である』という事です。
あれ?この古事記に書いてあること、使えるかも…ということで明治政府が目を付けました。
『古事記の神話を、事実として推していこう』ということで、生まれたのが国家神道(こっかしんとう)です。
そして、『日本は国家神道に基づく国だー!(天皇は天照大神の子孫であり、日本国は神の国である)』ということで、王政復古の大号令が明治天皇により発せられます。
神話だった古事記や日本書紀は、この時代では事実として教えられました。
つまり、「古事記に書いてるあることって嘘やん」と言えば、不敬罪に当たる行為だったということです。(参考:この記事の概要を参照)
また、国家神道という新しい思想ができたことによって、仏像や仏具、仏教経典を破壊する廃仏毀釈が起きました。
戦後、国家神道は廃止される
しかしながら、第二次世界大戦後、GHQによって国家神道が廃止されます。
『天皇は神様の子孫であり、日本は神の国である』ということが軍事的に利用されたため、戦争を生んだのではないかという解釈をされたわけです。
それ以降、古事記と日本書紀(日本書紀にも神話が書かれているため)は教科書から消えることとなります。用語としては習うかもしれませんが、詳細までは知らないわけです。
まとめ・参考文献
私たちが古事記・日本書紀を習わないのは、GHQが国家神道を廃止したためとなります。