日本史⑤いい感じに理解する(平安:源平の誕生)
前回:日本史④いい感じに理解するでは、桓武天皇が色々あって、794年に平安京に遷都したところで終わりました。
その後は、平安時代に突入し、武士・摂関政治・院生などの政治に影響を与える仕組みが登場し、わちゃわちゃしてきます。
しかしながら、その前に押さえて欲しいところがあります。
臣籍降下による、源氏と平氏の登場です。
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臣籍降下ってなんだ
臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることを言います。
ニュアンス的には、皇族が一般人になると考えてくれればOKです。ただし、ちょっと身分が高い一般人です。臣籍降下の他にも、賜姓降下(しせいこうか:性を賜って、皇族の身分を降りる)ともいいます。
他にも、女性の皇族が賜姓降下した場合は、臣下に嫁す(かす)というということで、臣籍降嫁(しんせきこうか)とも呼ばれます。現代では単に皇籍離脱とも言います。
重要なポイントは、源氏・平氏が生まれたのも臣籍降下によるものだということです。
源氏と平氏の誕生
では、次に源氏と平氏がどの皇族から生まれたのか見てみましょう。
桓武天皇をスタートとして、緑文字と青文字に注目してみてください。
源氏は4つの流れがある【源頼朝・源義経】
源氏は①嵯峨源氏、②陽成源氏、③清和源氏、④宇多源氏の4つの流れがあります。(他の流れもあるのですが、ここでは4つとさせていただきました)
何やら聞いたことがある、源頼朝・義経は清和源氏の流れから来ています。
参考 >> 源氏の家系図
平氏の場合【平将門・平清盛・北条時政?】
平氏について見てみましょう。平氏は緑色で書かれています。
桓武平氏の流れをくむ一族が平氏と呼ばれます(他にもあるのですが、ここでは桓武平氏のみ紹介します)。
何かしら聞いたことあるであろう、平将門や平清盛というのも、平氏の子孫になります。
平将門、平清盛の名前がありますね。
この図で面白いのは、北条時政も平氏の一族に入るというところです。
しかしながら、こちらは『自称、桓武平氏』とのことらしいので、信ぴょう性は薄いそうです。また、さらに謎な点は、時政の父が誰か分からないというところでしょうか。
北条家は鎌倉時代のお話になるので、まだ先ではありますが、頭の片隅に入れていただくといいと思います。
源平藤橘(げんぺいとうきつ)
さて、ここで登場した源氏と平氏、さらに前回紹介した、中臣鎌足をはじめとする藤原家、さらに同じく臣籍降下した橘家を合わせて、源平藤橘(げんぺいとうきつ)や四姓とも呼ばれます。
なぜ臣籍降下が必要だったか
では最後に、なぜ臣籍降下が必要だったのか。
それは、皇室の経済状況がひっ迫したからと言えます。子が沢山出来て、朝廷の中で面倒見切れなくなったため、というのが有力な理由です。
他にも、上級皇族のみ残したかったのでは?という考えもあります(はじめに臣籍降下が行われたのが、皇族の身分が低い女性に対してだったため。)確かにそれもありそうです。
まとめ
桓武天皇以降に、経済状況のひっ迫により、源氏・平氏への臣籍降下が頻繁に行われた。
すなわち、後の源頼朝・義経、平将門や平清盛は、元皇族であるということです。
今回はこれで終わります。
次回:日本史⑥いい感じに理解する(平安時代:武士・摂関・院政)