日本史④いい感じに理解する(天智天皇系列の桓武天皇)

日本史

前回の記事:日本史③いい感じに理解する(天武天皇と奈良時代)

前回は、天皇や権力者がコロコロ変わったものの、結果として天武天皇系の皇族はいなくなり、天智天皇(中大兄皇子)系列である光仁天皇が治めることとなります。

桓武天皇が行ったこと

光仁天皇の後は、桓武天皇の時代となります。
桓武天皇は、710年から7代にわたり都としていた平城京を廃し、山城国長岡(京都府日向市あたり)に遷都します。784年のことでした。

5月にはその意向を告げ、同年11月には山城国長岡に遷都しています。なぜこんなにも唐突だったのでしょうか。

あまりにも唐突だった遷都

それには以下の理由が考えられます。

  • 称徳天皇の時代に、道鏡などの仏僧勢力が政治に強く介入するようになり、断ち切りたかった
  • 桓武天皇は、それまでの天武天皇系ではなく、天智天皇系だったので天武天皇系に対抗できる都が欲しかった
  • 藤原氏勢力など在来貴族勢も強くなっていたので、天皇親政にしたかった
  • 蝦夷征討のために兵と物資の補給に便利な水陸要衝地に都を移した

ですが、歴史の流れをくみ取るのであれば、以下の二点だけおさえておくといいでしょう。

  • 称徳天皇の時代に、道鏡などの仏僧勢力が政治に強く介入するようになり、断ち切りたかった
  • 桓武や光仁天皇は、それまでの天武天皇系ではなく、天智天皇系だったので天武天皇系に対抗できる都が欲しかった

仏僧勢力が政治に介入するというのは、世界史でも同じようなことがありました。

国のトップである皇帝と、カトリックのトップである教皇。
政治を牛耳るのは皇帝だが、皇帝もカトリックを信じているため、教皇の意見にはなかなか逆らえません。そこで起こったのがカノッサの屈辱であったり、十字軍でした(参考:教皇が主人公の3つの事件:【カノッサの屈辱】【十字軍】【アナーニ事件】)

天皇側としては、仏教による介入を無くしたかった、というわけですね。
そしてもう一つは、桓武天皇が天智天皇系列であるということです。

以下の図を見てください。

グレーところが天武天皇系列であり、この時すでに途絶えていました。光仁天皇から、天智天皇系列であることが分かりますね。

天武系は途絶えているとしても、理由に挙げている通り、在来貴族付随する周辺貴族・皇族の影響は強かったのでしょう。以上の理由から、遷都によってリセットしたかった事がうかがえます。

しかしながら、遷都後、天然痘・飢饉が続きます。
再度、リセットの意味も込め、794年に平安京に遷都します。

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まとめ

桓武天皇は、山城国長岡(京都府日向市あたり)784年に遷都するが、色々あって794年に平安京(京都)へ遷都する。

他、参考

  • 征夷大将軍が出来た理由(坂上田村麻呂)

次回:日本史⑤いい感じに理解する(平安:源平の誕生)

参考文献