【神聖ローマ帝国の誕生】3つの交差点【カール大帝】
カール大帝が分かっていると、ローマの流れが分かっているといっても過言ではありません。カール大帝がポイントとなるのは、以下の3つです。
- ゲルマン民族
- キリスト教
- 神聖ローマ皇帝
そして舞台は
- 西と東で分裂したローマ
- その西ローマに、ゲルマン民族が住み着く
- 西ローマの跡地にフランク王国を建てる
というところから始まります。
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フランク王国
フランク王国は、ローマ帝国が西と東に分かれたときに西ローマ側でできた王国です。
正確には、西ローマが滅んだところにゲルマン民族が移動し、フランク王国を建てます。
詳細は【教皇】と【皇帝教皇主義】ってややこしいを参考にしてください。
キリスト教を取り入れる
そして、フランク王国は国を治める手段としてキリスト教を取り入れました。
また、キリスト教の拠点となる教会もローマにあり、ローマの教会側も、フランク王国の力をバックボーンとして取り入れることができる利点がありました。つまり、フランク王国とキリスト教側でWinWinの関係だったわけですね。
そして、キリスト教がカトリックとギリシャ正教に分かれたのものあたりです。
正統ではないフランク王国
ところが、フランク王国とカトリック側にはちょっぴり欠点が残っていました。
東のビザンツ帝国は、元ローマ帝国側の皇帝が治めており、正統派で伝統がある国です。
しかしながら、フランク王国は移民によって建てられた国でしたので、傍から見たら、流れものが治めている国だったわけですね。
この状態の何がこまるかというと、権威が弱いという事です。
二つの国はカトリックかギリシャ正教かという面で対立していました。
ビザンツ帝国は元ローマ皇帝が治めている点もあり伝統性もあり、権威としても強いのですが、フランク王国は『移民が立てた国』という正統派ではない点がどうしても権威を無くしてしまうわけですね。
カールの戴冠(たいかん)でガッチリ正統派にする
そこで、フランク王国と手を組んでいたローマ教皇は、当時のフランク王国の王であるカール大帝にに『神聖ローマ皇帝』の冠を授けます。
これをカールの戴冠といい、神聖ローマ皇帝を誕生させることで、伝統が無かったフランク王国を一気に伝統的・正統的ぽくするわけですね。また、西暦800年クリスマスの出来事でした。
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まとめ
カール大帝のポイントをまとめると以下になります。
- ゲルマン民族が移動し住み着いたことでできたフランク王国
- 政治のために取り入れたキリスト教(カトリック)
- 神聖ローマ帝国としての冠を授けられたこと
このそして、3つの交差点にいるのがカール大帝であり、カール大帝を説明できると、ローマの流れが分かっているわけですね。
また、ローマは共和制、帝政を経て、西と東に分かれ、西が滅び、
そして、今度は神聖ローマ帝国として君臨するわけです。