ヨーロッパ諸国と比較した【イスラム教】

宗教

今回はイスラム教についてもう少し深彫りしていきましょう。

イスラム教の始まりは、ユダヤ教・キリスト教を加えた『ズバリ一言でまとめたい【ユダヤ教】【キリスト教】【イスラム教】』で軽く紹介していますが、ここではもう少し探っていきたいと思います。

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イスラム教国家の特徴と流れ

西暦600年ごろ、ムハンマドによりイスラム教が生まれ、その後にイスラム帝国という宗教国家が生まれます。
ヨーロッパで言えば、ローマ帝国が西と東で分かれるあたりです。西側ローマの東側にあるビザンツ帝国の東となりでは、このイスラム帝国が鎮座していました。

さて、このイスラム帝国は宗教国家ですので、イスラム教をもとに国が回ります。宗教国家でありながらも、なぜ広範囲まで支配することができたのか紐解いていきましょう。

教えが合理的

ひとつはイスラム教の教えが合理的なものが多いということでしょう。
合理的であるというのは、『こういうときは、こうすべきである』と具体的に決まっていて、それでいて理にかなっているという事です。例えば豚肉や飲酒を禁止しているのは、その当時の衛生状態を鑑みると合理的とも言えます。

逆にキリスト教では、解釈の仕方が何通りかあったため、その当時の聖職者の裁量により良いように解釈されたりもしました。

税金が優しかった

イスラム教はキリスト教に比べ、税金が安かったことも理由の一つとしてあげられます。
そもそもキリスト教は、ローマ帝国が国教と認めることでヨーロッパ中に広まっていきました。しかしながら、ローマ帝国がキリスト教を国教としたのには事情があります。

キリスト教の教えのひとつとしてある『寄付』を、『国への税金』という形で納めさせる様にしたのです。つまりは、『キリスト教なら税金納めるよね?』という形で国教化されたわけです。そのため、市民は土地や人頭税(今でいう住民税みたいなもの)を払わなくてはなりませんでした。

一方で、イスラム教は寛大で、そのような税は払わなくてよいし、税を収めるときは身の丈に合ったものでよい(金、銀、作物などでもOK)、不況・不作のときは税を払わなくてよいなど、とにかく税に優しかったわけです。
それゆえに、多くのユダヤ教やキリスト教信者がこぞってイスラム教信者に改宗し、勢力を拡大していったわけです。

イスラム帝国が腐敗し、モンゴル帝国に支配される

しかしながら、その後信者が増えて言ったせいで、税金が割に合わなくなります。

さらに、後のイスラム教の指導者が、ローマ帝国を破滅に追い込んだ『税金徴収権』を売るようになってしまいます。それがきっかけになり、イスラム帝国はモンゴル帝国によって支配されてしまいます。13世紀ごろです。

モンゴル帝国 から オスマン・トルコ帝国へ

ですが、14世紀ごろになるとオスマン・トルコ帝国が台頭し、15世紀にはビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープルを陥落させます。
ちなみに、この時期のヨーロッパは大航海時代で、スペイン・ポルトガルがブラックダイヤモンドと呼ばれていた香辛料を求めてインドを目指すあたりですね。

そして、イギリスによるオスマン帝国をなんとか倒したいという事をきっかけに、第一次世界大戦へと繋がっていくわけです。

まとめ・参考文献

今回はヨーロッパとイスラム教圏の比較を行いました。
イスラム圏の国は勢力を広げることができたのは、『宗教の合理性』と『課税への寛大さ』に要因があるといえるのではないでしょうか。

また、ざっとですが帝国の移り変わりも解説しました。
以上、参考になれば幸いです。

参考:脱税の世界史